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戦争体験記22-2(後編)   国民学校から中学校まで

取材日 2026年03月31日(火)

  これって敵性語

  これって敵性語

     こりゃあ  読めないや

     こりゃあ  読めないや

      痛い!!

      痛い!!

 Bさんが子ども時代(戦中戦後)の教育は混とんとしていたと話す。しかし戦後の義務教育は素晴らしいものになった。戦争はまず子どもが被害を受ける。戦争と教育は深い関係にある。       

    義務教育の変遷
 学校教育の始まりは1900年(明治33年)の改正小学校令義務教育4年で尋常小学校から始まった。当時の子供は、家の立派な働き手で全員が通ったわけではない。その後義務教育は6年に延長した。 
 
突如1941年(昭和16年)3
月国民学校令で義務教育を8年に延ばし尋常小学校は国民学校となった。「天皇の為に身も心も尽くす」皇国民錬成、愛国心を強いた。国民科はドイツナチスの「国民科」がモデルになっている。子どもは児童・学童ではなく「少国民」となった。この制度は、敗戦の翌年廃止され6年間の存在だった。


     戦争一色の中で   
  日本列島は戦況悪化の中で、高学年の子どもは動員・作業に駆り出される。繰り上げ卒業あり・入学式の式典は行わない。敵性語(カタカナ)の呼び名は、ことごとく廃止され和名に変えるか使用禁止などが罷り通った。


    代用教員に教わる   
Bさんの島でも若者は兵隊に駆り出された。小学校は代用教員が先生だった。中学校出たばかりの学生が教師免許は持たず俄か教師で教えた。それはひどいものだったと話す。教えるものは修身道徳が多かった。中学校では、兵隊上がりの兵士が教員となった。3年間の中学校では一度も試験はなかったと話す。しかしどいう訳か通知表はもらった。どのようにして評価したか疑問であると話す。       


                 終戦直後の予防接種  
  敗戦終戦と同時にアメリカ軍に気を使い、教科書は墨と筆でぬったものを使った。翌年現在の制度に変わった。義務教育は小学校6年中学校3年となる。食事も乏しく何もかも不十分な中、悪い病気も流行した。(戦争体験記21に記す)将来を担う子どもの健康を気遣い予防接種が始まる。その時の注射の使い回しで、数十年後B型肝炎を引き起こした。数年後、国はその保証を始めた。
取材1月より始める
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

 Bさんは定年退職60歳過ぎB型肝炎を発症。余命数年と宣告をされた。注射の使い回しの予防接種をうけていた。それならばと発奮しバックパッカーとなり世界の旅に出たという。
 筋金入りの少年はそのまま高齢者となった感じだ。面白い話を沢山聴かせていただいた。

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