学校教育の始まりは1900年(明治33年)の改正小学校令義務教育4年で尋常小学校から始まった。当時の子供は、家の立派な働き手で全員が通ったわけではない。その後義務教育は6年に延長した。
突如1941年(昭和16年)3月国民学校令で義務教育を8年に延ばし尋常小学校は国民学校となった。「天皇の為に身も心も尽くす」皇国民錬成、愛国心を強いた。国民科はドイツナチスの「国民科」がモデルになっている。子どもは児童・学童ではなく「少国民」となった。この制度は、敗戦の翌年廃止され6年間の存在だった。
戦争一色の中で
日本列島は戦況悪化の中で、高学年の子どもは動員・作業に駆り出される。繰り上げ卒業あり・入学式の式典は行わない。敵性語(カタカナ)の呼び名は、ことごとく廃止され和名に変えるか使用禁止などが罷り通った。
代用教員に教わる
Bさんの島でも若者は兵隊に駆り出された。小学校は代用教員が先生だった。中学校出たばかりの学生が教師免許は持たず俄か教師で教えた。それはひどいものだったと話す。教えるものは修身道徳が多かった。中学校では、兵隊上がりの兵士が教員となった。3年間の中学校では一度も試験はなかったと話す。しかしどいう訳か通知表はもらった。どのようにして評価したか疑問であると話す。
終戦直後の予防接種
敗戦終戦と同時にアメリカ軍に気を使い、教科書は墨と筆でぬったものを使った。翌年現在の制度に変わった。義務教育は小学校6年中学校3年となる。食事も乏しく何もかも不十分な中、悪い病気も流行した。(戦争体験記21に記す)将来を担う子どもの健康を気遣い予防接種が始まる。その時の注射の使い回しで、数十年後B型肝炎を引き起こした。数年後、国はその保証を始めた。