シニアリポーターの取材リポート リポーターが取材したイベント情報をご紹介!

戦争体験記22ー1    小さな島では

取材日 2026年03月27日(金)

  沢山書いた軍艦

  沢山書いた軍艦

    鬼畜米英

    鬼畜米英

     ナイフで戦う?

     ナイフで戦う?


   昭和20年に入ると米軍は日本列島を無差別攻撃に転じた。3月は東京大空襲で約10万人が亡くなる悲劇が。米軍は攻撃しても効果がない場所には爆弾を落とさなかった。90歳のBさんは佐渡島生まれで、戦争被害はなかった。しかし私は、筋金入りの少年だったと話す。

   子供時代は
学校に上がる前から軍人に憧れ、兵隊や軍艦・戦車・戦闘機などの絵ばかり描いた。昭和17年国民学校に入学。教室の正面の壁に向かい天皇皇后両陛下の写真の前で一礼し、席に着いた。「修身」の教科書を押しいただき熟読。毎日ではないが、放課後は戦争ごっこの遊びが楽しかった

  若い人は戦争に駆り出され、農村の子供は家業の手伝いが普通だった。 国全体に「鬼畜米英」「「一億一心」等の語句が罷りとおる時代。子供たちも国策によって洗脳されていた。東京の従妹家族が焼け出され疎開してきても、神の国日本は必ず「勝つ」の自分の信仰心は揺るがなかった。

    飛び交うデマ 
  昭和20年4年生の夏休みを楽しんでいた。8月15日「玉音放送」は知らないで泳いでいた。帰りに「日本は負けた。島民は皆殺し」と聞き身震いがした。筋金入の軍国少年の私は、米軍が来たらとにかく逃げずに挑むと決心。毎日枕元にナイフを置き寝た。信じがたい事だが、本当にそう思った。
その後、隣町に米軍が駐屯した。誰一人殺されていない事を知り、デマが飛んだとわかった。
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

  今まで取材を重ねていても、悲惨な体験はなかったと、話す人もいたが、敗戦後進駐軍が入りもっと怖い目に合うと色々なデマが飛んでいた。私も信じた一人だ。デマで終わった事もあるが、実際その目にあった人も多くいる。終戦ですべては終わらない現実がある。
  特にこの方が語った戦時中戦後の教育は後編に記す

訪問者数訪問者数:31
評価数1 拍手
拍手を送る
このページを印刷する
  • 取材リポート一覧へ戻る