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戦争体験記18

取材日 2025年04月03日(木)

セーラ服が良く似合う13歳の郁恵さん

セーラ服が良く似合う13歳の郁恵さん

瓦礫の中から郁恵さんの日記が

瓦礫の中から郁恵さんの日記が

広島遺構には外国の方も多く訪れる

広島遺構には外国の方も多く訪れる

  知人から最近広島に行き叔父(89歳)に会ったと連絡を受けた。叔父の家族は、姉を原爆で失う。この原爆の事を多くの方に知ってほしいと知人から資料が届いた。叔父は、戦後60年後に姉(石堂郁恵さん)の唯一の遺品(日記)を広島データベース資料館に収めたと言う。
  

 昭和20年に入ると、陸軍上層部は敗戦に向かう中で、真逆のプロパガンダの浸透に必死。軍の設備のある地方は軒並み敵国B29戦闘機の激しい銃弾が襲う。生活は、質素倹約と奉仕。小学生は、学童疎開、女学生中学生は学徒動員の日課。学生達は大人として役に立つ喜びと希望を持ち続ける。広島市の学徒動員は、家疎開で壊した建築のがれき処分に当たる。


   石堂郁恵(叔父さんの姉)さんについて
 昭和20年4月13歳の郁恵さんは、あこがれの広島県立第1高等女学校に入学、セーラ服は特に憧れていた。8月6日は、1年生が動員の当番の日。生徒への訓示が終わり、カバンをおろし、作業に取り掛かろうとした。8時15分頭上で原子爆弾がさく裂、景色は地獄に一変。県女の1年生は全員爆死した。

  郁恵さんの父は、学童疎開の為、弟(知人の叔父さん)を連れ香川県にいた。すぐ広島に戻り郁恵さんを探す。遺体はどれも黒焦げ、体の一部分だ。広島にいた母は、背中にひどいやけどを負う。幼い叔父を背負って遺体とも思えない遺体の中に郁恵さんを求めた。疲労に力尽き捜索を諦めた。亡くなる最後まで郁恵さんを探せなかった自分を責め続けた。  


   広島県立第1高等女学校と郁恵さんの日記
 4月に入学した学生には授業らしいものはなく、先生は日記を書き提出するよう指導した。後に瓦礫化した校舎から数名の日記が見つかる。その1人が石堂郁恵さん。石堂家に遺品として帰ってきた。 日記の内容は、「弟がいる時は、やかましく早く疎開に行けばよいと思っていた。いざ行ってしまうと寂しく悲しくなりました。もっと優しくしてあげればよかった。」お姉さんが幼い弟をいたわる気持ちがにじみ出ている。

NHK「少女達の日記 ヒロシマ」昭和20年4月6日から8月6日 ドラマ化されている。YouTubeで見る事ができる。
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

資料館に行くと郁恵さんの日記に会える。数年前私は、資料館には入ったが、知人の親戚の方の日記だとは知らず軽く見たと反省する。春に修学旅行で広島に行くという中学生に、この話をする機会があった。ぜひ見てきてほしい。

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