フランス政府手配の救出機
軍用のトラックで移動、まるで戦時
脱出を実感した、手書きのボーディングパス
一週間が経過したが状況の改善は期待できないと判断し、外務省提案の他国手配の救出機での出国を希望することとした。
早朝外務省に連絡
出国希望者リストに載せてもらうため、5月22日ホテルの部屋から外務省に電話をした。朝8時(日本時間早朝6時)にもかかわらず直ぐに担当者が出た。この瞬間から「ニューカレドニアからの脱出」の一日が始まった。
運に恵まれた脱出
出国を希望する旨を伝えたところ、慌てた様子で「今日救出機が出るので、8時半までに集合場所であるホテルまで来られますか。搭乗者リストは締め切っていますが、フランス政府と追加が可能か交渉してみます。」との応答があった。現在8時10分、集合場所までスーツケースを引きずりながら歩いて30分以上かかるが、「行きます」と回答。急いでパッキングをし、チェックアウトもしないまま部屋を飛び出た。
非常事態宣言下、運よく近くに停まっていたバンの運転手に訳を話し集合場所まで送ってもらうことができ、何とか移動時間には間に合った。フランス政府からの回答がなく救出機への搭乗の可否は不明だったが、他の人たちと行動を共にした。
幹線道路が封鎖されているため、国際空港までは近くの国内空港から空路での移動となった。厳重な警備の中、昼過ぎ国際空港に到着。
空港ロビーには救出機に搭乗予定の多くの外国人および日本人が集合した。一人一人に手書きの搭乗券が渡された。自分の名前と座席番号を確認した時、脱出できることを実感した。直ちに行き先であるオーストラリアのブリスベンから成田までの翌朝の便を予約した。
出発予定時間17時30分をかなり過ぎたころ、日本人38名を含めた多くのオーストラリア人やフランス人を乗せた救出機は離陸した。その時。機内では大きな拍手が起こった。
3時間ほどでブリスベン空港に到着。翌朝の便までロビーのソファーで一夜を過ごした。運に恵まれた長い一日だった。
5月23日夕刻、成田空港に到着。予定を一週間オーバーしたが無事帰国することができた。
残された日本人短期滞在者17人の出国は、4日後の26日の便であった。運に恵まれなかったら、この便に乗っていたはずだった。
“天国に一番近い島”と呼ばれるニューカレドニアでこのような体験をするとは思ってもいなかった。無事帰国できたこと、現地で知り合った日本人、領事事務所員、外務省担当者、フランス政府そしてバンの運転手に感謝したい。
ニューカレドニアからブリスベンまでの航空運賃以外は、すべて自己負担だった。
ヨーロッパからの移住者との経済格差など、先住民族カナック人の不満が今回の暴動の背景にあると言われているが、短期間の滞在でもある程度それを感じることができた。
フランスから独立した主権国家をつくろうとする先住民族の希望は理解できる。しかし「自立無き独立」はさらなる不幸を招きかねない。特に経済的な自立がないと、他国からの
経済援助を受け入れざるを得ず、軍事的、思想的にも支配される危険性がある。
南太平洋の平和と安全を守るため、フランス政府を始め日本政府などにニューカレドニアに対する適切な対応が望まれる。
再びニューカレドニアでのんびりした時間を過ごすために。