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ニューカレドニアからの脱出  その1「非常事態宣言」

取材日 2024年08月13日(火)

空港から市内へ向かう道路 知人FBより

空港から市内へ向かう道路 知人FBより

ホテル内を警備する憲兵隊

ホテル内を警備する憲兵隊

毎日散歩をしたホテル前の海岸

毎日散歩をしたホテル前の海岸

 

私(筆者)は20245月、特に目的もなくのんびり時を過ごしたく、一週間の予定で妻と南太平洋のフランス領ニューカレドニアを訪れた。

まさに帰国しようとした日から始まった1週間にわたる信じがたい体験を、3回に分けて掲載する。

 

非常事態宣言発令

20245月、フランスからの独立を目指す先住民「カナック」などが独立派に不利になる憲法改正に反発し、大規模な暴動を起こした。

中心都市ヌメア郊外で幹線道路を占拠し、車に火を付け、また公共施設や企業、店舗などでの略奪や放火を繰り返し、日本企業も大きな被害を受けた。

 

515日、フランスのマクロン大統領は非常事態宣言を発令した。夜間外出禁止令も発令され、国際空港は閉鎖、すべての便が欠航となった。

 

515日の我々の帰国便も欠航となり、ホテルでの足止めを余儀なくされた。

数日で空港が再開され臨時便が就航するだろうと楽観視していたが、混乱は長期化し、先が見えない不安な日々が続いた。

 

危険と背中合わせの毎日

ホテルがあるヌバタ地区は危険地域から離れているため比較的安全で、海岸の散歩とプールが日課になった。ほとんどのレストランや商店はシャッターを下ろし、車の往来も少なく閑散とした街と化した。食料は昼間だけオープンしている一部の小さなスーパーやベーカリーで手に入れた。商品を購入するのにも一時間以上並ぶ必要があり、すぐに売り切れてしまう。スーパーの棚は空っぽになり日用品の入手も困難な状況となった。

ホテルでは従業員の通勤が困難なため、ルームサービスは無く、タオルやトイレットペーパーなどは自分でレセプションまで取りに行った。

 

滞在していたホテルには、暴動を鎮圧するためフランスから送られてきた保安部隊が駐留していたため、警備は厳重だった。ホテルのいたるところでマシンガンを持った憲兵が警備にあたっていた。ボンジュールと声をかけると愛想よくボンジュールと応えてくれる。

危機感はあまり感じられなかったが、滞在中カナック人を含む住民や保安部隊など6名が死亡、数十人がケガをした。
                                          
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ニューカレドニア観光局HP    

            
                        次回  ニューカレドニアからの脱出 その2「つながり」

 

ニューカレドニア
松井 洋一
シニアリポーターの感想

渡航前の外務省ホームページでは、ニューカレドニアに対する危険情報は無かったが、フランス政府は過去の経験からある程度の暴動は予想していたと思われる。成田からニューカレドニアに向かう航空機に屈強なフランス人の若者が数十人搭乗しており、我々と同じホテルにチェックインした。彼らはフランス本国から送られてきた保安部隊だったのだ。
日本政府は最新の情報を入手できていなかったのかもしれない。
パリオリンピックを開催した表の顔とニューカレドニアでの暴動の裏の顔、フランス政府の両面を実感した。

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