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戦争体験記(9)

取材日 2023年12月16日(土)

   同僚には内緒!

   同僚には内緒!

  新潟から佐渡島への航路

  新潟から佐渡島への航路

  船の中は誰も無口で(8月15日)

  船の中は誰も無口で(8月15日)

 佐渡島出身のHさんは、先が見えない戦争のまっただ中、こんな形で終戦を迎えたと言う。

     昭和18年 若者が兵隊に続々と出征した為、多くの会社は社員不足となった。日本中からから人々を募った。佐渡島にも川崎のA社より社員募集があった。島からは男女50人近くが入社した。 Hさんは尋常高等科で学んでいたが繰り上げ卒業を機に、その一人として皆と川崎へ向かった。
    昭和20年5月  いよいよA会社にも、高津小学校で徴兵検査を受ける指示が来た。徴兵検査は受けたが、徴集はなくそのまま会社で仕事を続けていた。食べ物もなく8月になってひどい腹痛が治らず佐渡島に帰る決断をした。

  8月13日 同僚には内緒で小荷物をまとめ二子新地から上野に向けて電車で出発。上野駅は荷物と人でごった返していた。新潟に向かう列車の時刻は迫っていたが、この群集の中では切符は買えない。しかし、チャンスを逃す訳にいかない。満杯の汽車に「えい、無賃乗車だが仕方ない!」とにかく飛び乗った。悪いと思ったが上野から東三条まで何とか辿り着いた。夜遅いためここで泊をする。

   8月14日 新潟港に着いたが、新潟発佐渡島に向かう船は出てしまっていた。明朝までは船は出ないと知る。仕方ない船着き場で寝る事にする。

   8月15日 切符を買って朝出る船に乗った。今思えば、船着き場も船の中も不自然な空気はあった。しかし誰も無口でH青年は他人に話しかける術もない。ひたすら自宅へ着きたかった。島に着くとバスで我が家に向かった。久しぶりに会った家族から出た言葉は「終戦」の2文字だった。

   終戦から2年後にHさんに、A社から入社の誘いがあり、定年まで勤務する。 96歳のお元気なHさんは自社の製品を手にしながら、当時を思い出すように満面の笑みで思い出を語ってくれた。
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

佐渡島まで、フェリーで2時間半はかかる。Hさんの乗った引き船は屋根が付いていない粗末なものだった。終戦の玉音放送は、ラジオを前にして正座で聞いた人の話はよく耳にするが、8月15日数時間後に初めて聞いた人も居たのだ。佐渡島はのどかで、終戦5か月後にイギリスの飛行機が不時着して村民が助けた感動の映画がある

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