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戦争体験記(7) 広島ー2

取材日 2023年07月23日(日)

ねこさんが住む岩国市・叔母が住む広島市(車で約1時間)
ねこさんが住む岩国市・叔母が住む広島市(車で約1時間)
現在の相生橋が見える。(広島平和記念公園に入る)
現在の相生橋が見える。(広島平和記念公園に入る)

  あれは!一体なに?
  昭和20年に入ると戦火は増々厳しくなった。私(ねこさん)が住んでいる山口県岩国市は、陸軍燃料基地や民間製油所もあり、B29の標的になっていた。焼夷弾におびえる毎日でした。8月6日朝、たまたま母と見上げた東の空に、黒い雲(キノコ雲)が立ち上っていました。あれは一体何?今まで見たこともない雲?急に広島に住む叔母さん(母の姉)の家族・親戚の事が心配になった。これこそが、一挙に14万人の命を奪った恐るべき原子爆弾が広島に炸裂した瞬間だった。

   家族を探し求めて
1年後広島市に入って分かった事。一面焼け野原でした。叔母さんは、日赤の看護婦だった。6日は非番で、相生橋(あいおいばし)を歩いて居た所、原爆の直撃を受けた。従妹(娘)は、母の姿を探し求めて死体の収容所を数日かけてまわりました。特徴は「顔は細め、丸顔、白いパンツの女性」どんなに悲しかっただろう。むごい事を。親戚は8人亡くなりました。 相生橋は、町の中心に流れる本川にかかるT字型の特徴のある橋です。

   爆心地は
相生橋から300M離れた場所が爆心地です。現在は広島平和記念公
園となり原爆ドーム(旧産業会館)広島資料館などいくつもの碑がある。
私は当時小学4年生でした。翌日から岩国駅は包帯で顔を覆った人、体
に巻きつけた人など続々と列車から降りてきました。放射線でひどい火
傷をうけ服はボロボロその姿は怖かったですが、道に横たわる死体を見
るのは、もっと怖かったです。
ひゃー・あの人歩ける!被爆者が列車で岩国へ

ひゃー・あの人歩ける!被爆者が列車で岩国へ

砂田 紘子
シニアリポーターの感想

広島原爆追悼の日が今年もやってくる。痛ましい惨状が記憶の彼方に追いやられないように、話をしていたら、数年前に、ねこさんに出会えた。小学4・5年生の体験としては重く忘れる事が出来ない悲しい事だったと思う。

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