線路沿いに逃げる
玄米を炊く
死ぬまで戦います!
日暮里に住み昭和19年3月10日東京大空襲にあった仲子さんに当時を聞いた。刻々と悪化する戦況の中姉妹は疎開したが、鉄道局に勤める父と造幣省で勤労挺身隊として働く仲子さんが家に残る。
夜の奇襲攻撃
10日は父が夜勤で不在、夜中一人でいた。深夜にサイレンと共に奇襲攻撃が始まる。すさまじい音と背後からは火が迫る。とっさに位牌と少しの荷物を抱え、大勢の人と逃げた。線路伝いに走り田端に着いた。新しい下駄の歯はすり切れる。翌日自分の家へ帰ると家は類焼し、たった一つの鉄鍋と火をまぬがれた防空壕の玄米が残った。辺りはまだぶすぶすと炎が。くすぶる焚き木をかき集め玄米ご飯を炊く。こげた焼き塩とネギを添えたおにぎりのおいしかった事!!
「死ぬまで戦う!」
王子にあった造幣省は広い敷地に焼け残った。ここではもっぱら鉄砲の弾づくり。主要都市で奇襲攻撃が続き多くの犠牲者が出たが、自分の周辺は皆「死ぬまで戦う!」と思っていた。今戦争をとめてほしいとは思わなかった。
ひもじいとは!
寮生活ではひもじい思いに「なぜ人間はお腹がすくのか?これがなかったらいいのに!」と真剣に毎日考えた。寮では生煮えの大豆・人参の葉っぱのごはんで空腹を満たす。お腹を壊すと玄米おかゆが支給される為、腹痛を訴える人も多かった。人参の葉っぱ・硬い大豆では栄養失調の腸は耐えられなかったと思う!