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戦争遺跡「登戸研究所」を訪ねて。本当にあった戦争の話

取材日 2018年03月17日(土)

偽札工場の扉 極秘工場だったらしい
偽札工場の扉 極秘工場だったらしい
風船爆弾 和紙とこんにゃく糊で作られていた
風船爆弾 和紙とこんにゃく糊で作られていた

 第二次世界大戦中、現在の多摩区、明治大学生田キャンパスやその周辺に陸軍参謀本部直属の施設があった。その存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。今回は登戸研究所保存の会、森田氏の案内で明治大学生田キャンパス内の戦争遺跡と明治大学平和教育登戸研究所資料館を巡った。

 

登戸研究所とは

 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の登戸実験場として開設された。その後、秘密・謀略戦の研究所として拡充していった。

 登戸研究所の任務は、毒物・細菌などの生物化学兵器、他国紙幣の偽造、風船爆弾、スパイなどが使う武器・器具などを開発・製造。最盛期の1944(昭和19)年には敷地11万坪、建物100棟以上、約1,000名が働く大規模な研究所・秘密兵器生産工場になっていった。(登戸研究所保存の会のしおりより)

 敗戦とともに、資料の多くは処分されてしまい、働いていた人々は、ここで行っていたことを生涯口外しないことを申し渡されて解雇された。

 

市民による活動がきっかけでできた資料館

 戦後数十年を経て、地域の歴史を調べていた市民や高校生たちによって、研究所で働いていた元所員の貴重な証言や手記などが集まりだし、少しずつ何が行われていたのかわかり始めていった。

市民活動の成果や関係者の熱意を受けて、明治大学は「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を2010(平成22)年に開館した。

 資料館はかつての研究施設であり、館内は可能な限り設備をそのまま残す形で展示がされている。建物そのものが貴重な戦争遺跡である。戦争の隠された側面についてもそれを直視し、戦争の暗部を歴史的事実として語り継ぐことに重点をおいている、日本では唯一の資料館であるということがいえる。

 2018年現在で来館者は65000人を超えている。

 

キャンパス内に残る史跡と見学について

 動物慰霊碑・陸軍マークのついた消火栓・当時からあるヒマラヤ杉・偽札工場跡(2011年解体)と倉庫(2009年解体)・生物兵器研究棟(現資料館)・倉庫跡・弥心神社がある。これらは生田キャンパス内にあるので自由に見学ができるが、ガイドなどの案内付でまわることもできる。資料館は無料。

 

■見学会のガイドなどの相談・申込・問い合わせ

「登戸研究所保存の会」 森田忠正 TEL,FAX  044-911-2726

 

■明治大学平和教育登戸研究資料館

 ◇アクセス 小田急線「生田駅」から徒歩約15

       小田急線「向ヶ丘遊園駅」北口からバス「明大正門前」行き終点

 ◇開館日 水曜日~土曜日 10:0016:00 入館無料

 ◇問い合わせ TELFAX 044-934-7993

   http://www.meiji.ac.jp//noborito/

当時のまま残されている消火栓 陸軍の五芒星が確認できる

当時のまま残されている消火栓 陸軍の五芒星が確認できる

偽札はどうつくられたのか、説明をする森田氏

偽札はどうつくられたのか、説明をする森田氏

研究所の中のようすがよくわかる。資料館内

研究所の中のようすがよくわかる。資料館内

多摩区 明治大学生田キャンパス内
内田恭子
シニアリポーターの感想

 偽札製造に使われていた建物が2011年まで存在していたらしい。同行者に明治大学卒業生がいたのだが、気味の悪い建物がいくつかあったのを記憶しているという。夜ひとりで歩くのは怖かったそうだ。今回の見学会で謎が解けたと話していた。
 敷地内にある弥心神社の境内に句碑が立っている。「昭和63年建立」とあった。「すぎし日は この丘にたち めぐり逢う」。勤めていた人たちが決して話すまいと胸の奥にしまい込んでいた記憶を戦後数十年経て、ようやく話し合うことが許されたという気持ちが詠われている。貴重な証言のおかげで私たちは戦争の負の部分を知ることができたのだ。

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