シニアリポーターの取材リポート リポーターが取材したイベント情報をご紹介!

戦争体験(10)

取材日 2024年02月03日(土)

   僕に何か用事‼

   僕に何か用事‼

   お兄ちゃん!ばんざい‼ 

   お兄ちゃん!ばんざい‼ 

    誉(ほまれ)の家?  

    誉(ほまれ)の家?  



青春がそのまま戦争時代と重なる酒井さんには、戦争の傷をいやすことは未だに出来ないと語る。



    昭和15・16年頃、若い男性は(40歳代ぐらいまでは)出征を余儀なくされ殆んどいませんでした。ある時、女学校の2階から外を眺めていた友人が「下に男子が歩いている!」と嬉しそうに叫んだ。みんなで、窓際に駆け寄りました。体を乗り出し見ていた全員から「なんだ、用務員のおじさん!」とため息がもれ、がっかりしたのを覚えています


   私が住んでいた白河にも、男子には出征の赤紙が来ました。村民は駅までその兵士を見送るのが常でした。「勝ってくるぞと勇ましく・・」と軍歌を歌い小旗を振って「バンザイ、バンザイ」と叫びました。 お国のためとは言え、私は複雑でした。
出征し戦死した家には、表札の横に「誉の家」の札が貼ってありました。男手がなくなった家の農繁期は、私たち女学生が、手伝いに行きました。

軍歌 士気を高揚させる歌です。古関裕而作曲のうた、勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷出たからには、手柄立てずに死なれよか・・・


  母はとても気丈な女でした。しかし兄さんを日露戦争で亡くし、長男を大東亜戦争で亡くした時は、尋常ではなく泣き崩れました。私も悲しかったです。 昭和18年10月 関東近郊から同年代の2,5万人の学生が明治神宮外苑競技場(今の国立競技場)に集まった。雨の中、学生服で足にはゲートルを巻いた学生は、小銃を担ぎ軍歌を歌い大行進をしました。会場には6万人以上の家族・恋人等見守っていた。ついに帰ってこなかった学徒出陣のことを思うと胸が痛みます。


  学徒出陣  この戦争の終盤1943年昭和18年兵力不足を補うため、高等教育に在籍する19歳以上の文科系学生を徴兵した。日本国国内の学生だけでなく当時日本統治下だった台湾・朝鮮や日本軍占領地でも対象になりました。

    

  日露戦争(1904年~1905年)1年半に及ぶ戦争多くの 
犠牲を払って勝利 

      大東亜戦争(1941年~1945年)       4年間続いた戦争
                        敗戦直後のGHQにより太平洋戦争と改名




  

 
 
宮前区昨年から
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

 歴史をひもといてみると日本も世界を相手に長年戦った。日清.日露・日中・大東亜戦争その間に1923年には関東大震災も起きた。1945年の無条件降伏に至るまでは、目が覚めない。今の惨状を目の当たりにしながら考えざるを得ない